動物と家畜 植物と野菜
今日、バイト先の牧場での話。
「私の息子は小さいときはよく牧場にきて遊んでいた。」
「でも、今では牛を嫌いなぐらい牧場には寄り付かなくなっている。」
「そっちのほうが私はいいと思っている。牛飼いは牛をかわいがっているだけじゃダメ。『家畜』として接していないと牛になめられるし、牛に情が移ってしまう。」
たしかに、牧場を経営する立場になれば、動物や牛が好きだからとういう理由だけでは牧場の経営はやっていけない。
よく、牧場や動物に接する仕事をする人たちのインタビューで「なぜこの仕事をしようと思った?」という問いに対しての答えは「動物が好きだから」という回答がダントツに高い気がする。それは、なにも不純な答えではなく、純粋でもっともな回答だけど、実際に牧場を経営する場合、それだけの理由ではなかなか牧場の経営は続かないなと思った。
ある程度、動物や牛に非情になっていないと、正常な判断ができなくなってしまうのだろう。死にかかっている牛、乳を出さなくなった牛、種付けができなくなった牛、それらを殺す判断を経営者は常に下さなくてはならない。
非情で、ある程度の基準をもって動物や牛に接していくことが経営者には必要なんだろう。
一方、野菜についても同じことが言える。
僕は山が好きだし、木々、植物の観察が大好きだ。
そんな理由から今年から野菜作りを始めたわけだけれども、いかんせん、いちいち野菜の成長が気になってしまう。パッションフルーツのつるがネットに少し引っかかってきた!とか、今日はトマトの葉っぱが一枚増えた!だとか、昨日植え付けたスナップエンドウの苗が倒れてしまった!だとか、小さなことで一喜一憂してしまう。
まだ5月だし、野菜もまだまだこれから成長していくだろう。
こんな調子では農場を経営していくことなんてとうていできないだろう。
せいぜい、家庭菜園レベルでしか野菜を作ることができないと思う。
ある程度、野菜に対して非情になっていかないといけない。
野菜が枯れてしまった。苗が倒れてしまった。
そんなことはどうでもよくて、効率的にかつ多収を目指していかないと思った。