地方へ移住するきっかけについて
先日、自分の生い立ちを振り返る機会があった。
実際には、生い立ちを他者へ紹介するという形で意図せず、自分の今までの人生を振り返ることになった。
地方へ移住することがブーム的に取りざたされる昨今において、多分に漏れず私も東京から岡山の地方へ移住したくくりに収まるわけだけれども、、、
そもそも、なぜ私は地方へ移住したのか???
と何度も自分へ問いかけてみたが、最近ぼんやりと直感的に移住した(してしまった)という考えに至っていたのだが、今回の人生の振り返りでそのぼんやりとした考えから、原点を見つめなおすきっかけを得ることができた。
そもそも、地方へ移住するきっかけとなったのは、私があるブログの記事を読んだことがきっかけだった。
この記事を読んだのはちょうど2年ほど前に直感的に、今地方へ移住しなければ自分も山村で生きていくすべを知らなくなってしまうと思ったからである。
この記事を読む前の私は、ただ漠然と将来の日本は経済的に他国から突き放され、やがて食糧自給もままならない状態になるんだろうなと、やや極端な状態ではあるが、日本の将来に嘆いていた。
そんな中、昔の人たちはなぜ山村で生きていくことができたのかという理由をブログの記事で知ったことで、自分の中である問題意識が具体的な行動で乗り越えられるという意識に変わっていた。
つまり、山村で生きる技術を自分で習得すれば、将来日本の自給率が低下して、食べることさえも難しくなったとしても、食べるもの、きれいな水、燃料、建材などは自分で調達できるのではと考えたことが、地方へ移住する発端となったのだ。
今、振り返ると先走った感は否めないが、この後先考えずに先走ってしまったことによって、実際に山村で生きる人たちと話しをする機会に恵まれ、自分自身の人生の生き方について視野を広げることは事実である。
地方へ移住したことが正解だったのか、それとも間違っていたのかは今回答することはできない。
実際に、今現在の暮らしぶりといえば、朝から晩まで仕事と畑や勉強などすることはたくさんある。東京に住んでいたころの自分に比べれば、休みという休みも週に1回ある程度だ。祝祭日など関係なく仕事だ。
けれど、昔の自分程将来について嘆いている様子はない。嘆いているというよりも楽観的に人生をとらえているのかもしれない(いいことなのか?)。
楽観的に物事を直視できるようになったのは、多分地方で生きている人たちを実際に見て、聞いて、話をすることができたからであろう。
「これがだめでもあれがある」「こっちがだめでもあれができる」という考えができるようになったからだろう。この考え方ができるようになったおかげで、少しの壁にぶつかったとしても、何とかなるだろうと思えるようになった。
とりとめもない話ではあるが、実際に地方へ移住することで、この考えから派生していろいろな考えが自分の中で芽生えることになったが、まずは地方へ移住するきっかけとなった出来事をまとめて、今回は終わりとしよう。